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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和30年(ワ)51号 判決 1956年10月13日

原告 稲津元康

被告 ケネデイー・チヤールズ

主文

被告は原告に対し金参拾八万弐千参百五拾七円参拾九銭を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分しその四を被告、その一を原告の各負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

原告が中央タクシーの運転者であり、被告が横須賀米海軍基地海兵隊の構成員であつたこと、原被告の各運転していた原告主張の両自動車が原告主張の日時場所において衝突したことは当事者間に争いがない。

よつて、先づ右事故が原告主張の如く被告の過失に基因するかどうかにつき審按する。

成立に争がない甲第一号証の司法警察員作成の被害発生証明書の記載内容証人長沢庄蔵同小池庄吉同鈴木光雄同鈴木武彦の各証言並に原告本人尋問の結果(第一回)及び現場検証の結果を綜合すれば、本件衝突の場所は横須賀市内中央部より浦賀町に通ずる見透し良い直線の平担な幅広い舖装された幅員二二、六〇米の県道で、歩車道に区別せられ、幅員一五、四〇米の車道の両側に幅員各三、六〇米の歩道があり、事故当時は月明わなかつたが、晴天で風雨なく、夜中で車馬の往来も頻繁でなく、原告は空車で客を拾うため同市日ノ出町方面から三春町方面へ向つて進行し安浦町三丁目の車道に到つたとき、その東北側の片側長さ約一〇〇米幅約六米から八、九米の部分が道路工事のため道路を深さ三〇糎位を堀り返し溝となり交通止めのバリケートが張つてあつたため、その左側に副つて通行した。ところが右県道大道と海岸に至る道路とが交叉する十字路である右三丁目二十五番地先衝突地点の手前一〇米位の箇所に差蒐つたとき、反対の同市三春町方面から日ノ出町方面へ向つて連道全体のほぼ中央に当る原告の進路約五〇米前方より制限速度四〇粁を遥かに超える高速度で疾走し来る被告操縦の自動車を望見し右自動車は当然その進路を左側に採り安全に通過するものと信じたが、万一を虞つて速力を時速約一〇粁に落して徐行すると共に左側のバリケートすれすれの線まで最大限の避譲をなした瞬間、被告はその自動車を依然として原告の前方進路上において同一速度を持続して疾走せしめ危険不可避の直近距離に至つて初めてこれを覚知し急停車の処置に出ると共にハンドルを左に切つて衝突を避けんとしたが既に及ばず、遂に被告操縦の自動車の前部を突如原告操縦の自動車の前部に激突せしめたこと。

被告が当時、進路の前方及びその左右の路面を注視していたならば他に見透を妨げる障碍物はなく、原告の自動車の前照灯の照明と附近店舖の街灯の薄明とにより少くとも三〇米から四〇米位手前において進路の車道の右側に馬と通称せられる交通止めの標識が設置せられ、かつそれに直接して右斜後方より原告の自動車が対面して進行し来るを認識し得ない筈はなく、被告が当初より左側通行を励行していたか或は前方を注視し原告の自動車を認めるや直に速力を減じ車首を左に転じて車道の左側に出でたときは、道路工事のため交通止めのバリケートが張られ、南西側の車道の幅員が狭められているとわいえ、なお同部分には約九、四〇米の有効路面があり、悠々として幅員約一、八〇米の被告の自動車を幅員約一、二〇米の原告の自動車に併車せしめて無事その右側面ですれ違い通過し得たことが明瞭であるから、本件事故は全く被告の前方注視義務を怠り交通止めの道路標識、進路前方の原告の自動車を認識しなかつた不注意と前記制限速度超過並に道路通行の原則に違反した無謀操車の過失に基因するものなることを肯認し得るに足り、右認定を動かすに足るなんの証拠もない。

被告は、本件事故は、原告が警笛を鳴らさずその他操車上適宜の措置を採らなかつたため惹起せられたもので、原告にも過失があると主張するも前記認定の事実に、原告本人尋問の結果(第一回)に徴すれば、原告は前面進路より疾走し来る被告操縦の自動車に対し細心の注意を払い最大限の徐行と避譲を行つた刹那において発生したるものにして原告が衝突の直前警笛を鳴らさなかつたことはこれを推知し得るも当時警笛を鳴らすべき余裕もなく又かかる場合、前方より驀進し来る自動車に対しては左程警音の効果がないことは実験則に徴しても明かであり、警笛不吹鳴の一事を以ては未だ原告に過失ありとはいい得ないことは勿論であり、他に原告にも過失ありと認め得べきなんの証拠がないから被告の右主張はこれを採用しない。

されば、被告は前記事故により原告の被つた財産上精神上の損害を賠償すべき義務あること勿論である。

よつて、その損害額につき審究する。

前示甲第一号証成立に争がない甲第五号証、証人稲津一の証言により成立を認める甲第三号証の一ないし四、証人中島弥作の証言により成立を認める甲第四号証証人稲津一、同中島弥作、同飛弾清英の各証言並に原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すれば、

原告は右衝突の結果、右膝蓋骨複雑骨折、右手背部前額部外眉部の各切創の傷害を負い、直に横須賀共済病院に入院して治療し、昭和二十九年十月十三日より同年十二月十五日までの間入院し、爾後昭和三十年六月頃まで通院して手当を受けたが、退院直後より同年四月頃までの間は当時の自宅横須賀市久比里三百七番地より自動車により通院を続け或は転地療養に赴いたため、労災法第二十条により政府より災害補償を受けた前記病院に対する入院費手術費治療代等を除き、

原告がその主張の(一)金弐万四千八百七拾円、昭和二十九年十月十八日から同年十二月十五日までの間附添を依頼した横須賀看護婦紹介所、安永家政婦紹介所等所属看護婦に対する費用(二)金弐万七千円同年十月十三日頃から昭和三十年三月十七日頃までの間、右病院等において必要な療養費以外に滋養剤等の供与を受け或はこれを購入して摂取した栄養費、(三)金参万円、昭和二十九年十月十三日頃から昭和三十年四月十九日頃までの間の右病院より前記自宅間の往復自動車賃及び転地療養のため神奈川県湯河原温泉へ赴いた往復車馬賃を各支出したが、右(一)ないし(三)の各支出金計金八万壱千八百七拾円はいづれも本件負傷に基因して通常支出せざるべからざりし費用であり原告主張の(四)金五万四百八拾七円参拾九銭は、原告が自動車運転者として中央タクシーより受傷前一日平均賃金四百八拾七円参拾参銭を収得していたところ、療養のため昭和二十九年十月十三日から昭和三十年六月二十九日までの二百五十九日間休業しその期間右平均賃金の割合による全収入金拾弐万六千弐百拾八円四拾七銭より原告の受給した該金員に対する六〇パーセントの休業補償金を控除したものにして本件事故なかりせば原告の得べかりし収益を喪失した損害金であることをそれぞれ認め得べく、

被告は原告に対し財産上の損害として以上合計金拾参万弐千参百五拾七円参拾九銭を賠償する義務ありというべきである。

次に、慰藉料につき按ずる。

証人沢和忠明の証言により成立を認めうる甲第七第八号証、証人飛弾清英同沢和忠明の各証言並に原告本人尋問の結果(第一、二回)を綜合すれば、

原告は旧制の横須賀中学校を卒業後一時予備校に通学したが昭和二十五年頃自動車の運転免許を得て爾来自動車の運転者として稼働し居る当二十四年の青年にして、本件事故による受傷は障害補償を行うべき身体障害の等級第十一級に該当するものと査定せられ、昭和三十年六月二十九日症状固定により治癒したるものとして労災法による補償を打切られたが、額面前額部眉間部に六ヶ所の創傷瘢痕を止め又右腓首神経痳痺のため現在右膝関節の屈曲七十二度位にして、右膝屈曲不全の後遺症を残し足を使用すべき自動車の運転者としては右機能障害によりその労働能力が二、三割減退して居り、昭和三十年八月中頃より再び中央タクシーに勤務し始め同年十月頃から乗用自動車の運転に従事したが身体の故障を覚えたので昭和三十一年三月頃から右中央タクシー経営の自動車教習所において自動車運転の教授をなし現在固定給一ヶ月金壱万四千円を支給せられ居ること等の事実が認められ、

原告が右衝突のため精神上も又甚大な苦痛を被つていることを推認するに難くないから、原告の年令、地位、職業、収入、本件事故による前記認定の負傷の部位程度予後の状況等諸般の事情を考慮するときは、被告が原告に対し支払うべき慰藉料は金弐拾五万円を以て相当とする。

よつて、原告の本件請求は法例第十一条第一項民法第七百九条により被告に対し前記認定の財産上の損害額金拾参万弐千参百五拾七円参拾九銭に右慰藉料金弐拾五万円を合算した金参拾八万弐千参百五拾七円参拾九銭の損害金の支払を求める限度において理由ありとしてこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石原辰次郎)

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